「少年探偵団通信」バルト・ウクライナ通信19 チェルノブイリ原発跡(1)
19 チェルノブイリ原発跡(1)
チェルノブイリ原発の跡地を見に行った。事故から30年経った現場の様子を3回に分けてご
報告したい。
この原発は1978年に稼働し事故が起きたのは1986年4月26日であるがロシア政府が事
故を認めたのは2日後の28日である。この事故で多くの人が亡くなったがその多くは事故直
後の消防隊員と作業員で彼等は放射能の脅威は知らせれないまま防護服もつけず作業に従
事したという。30年経った今でも回収されない遺体が現場に残されているという。
驚くことに事故が起きたのは4号炉であるが、残りの3炉は事故後も運転をし続けたという
ことである。2号炉は1991年火災を起こして停止、1号炉は1996年にIAEAとの協議で停止、
最後の1号炉が停止したのは事故から14年半後の2000年11月のことである。
事故直後から半径30 km内は立入り禁止措置が取られていたが2010年に放射線量低下を
理由に解除され、現在では多くの観光客が訪れている。
原発から30 km地点に入場ゲートがあり、入場料$125/人を徴収する。その地点の線量は
0.14マイクロシーベルト(μ㏜)、10 km地点にもゲートがあり0.18 μ㏜、 一番線量の高かったの
は3-4 km地点の木造住宅を埋めたところが12.0μSvであった。更に事故炉から200~300 m位
のところに展望台があり、その地点では2.5μ㏜であった。


チェルノブイリ原発の跡地を見に行った。事故から30年経った現場の様子を3回に分けてご
報告したい。
この原発は1978年に稼働し事故が起きたのは1986年4月26日であるがロシア政府が事
故を認めたのは2日後の28日である。この事故で多くの人が亡くなったがその多くは事故直
後の消防隊員と作業員で彼等は放射能の脅威は知らせれないまま防護服もつけず作業に従
事したという。30年経った今でも回収されない遺体が現場に残されているという。
驚くことに事故が起きたのは4号炉であるが、残りの3炉は事故後も運転をし続けたという
ことである。2号炉は1991年火災を起こして停止、1号炉は1996年にIAEAとの協議で停止、
最後の1号炉が停止したのは事故から14年半後の2000年11月のことである。
事故直後から半径30 km内は立入り禁止措置が取られていたが2010年に放射線量低下を
理由に解除され、現在では多くの観光客が訪れている。
原発から30 km地点に入場ゲートがあり、入場料$125/人を徴収する。その地点の線量は
0.14マイクロシーベルト(μ㏜)、10 km地点にもゲートがあり0.18 μ㏜、 一番線量の高かったの
は3-4 km地点の木造住宅を埋めたところが12.0μSvであった。更に事故炉から200~300 m位
のところに展望台があり、その地点では2.5μ㏜であった。

