中堅中小企業のM&A仲介(ハッピーM&A)のことならおまかせください! 小柴学司(大39期)    株式会社山本進重郎商店のホームページです。 山本 進三(経済学部 産業工学科 39期)    大和紙料㈱ 機密書類の溶解処理からリサイクルへ、古紙のリサイクル。環境に優しく 矢倉 義弘(大6)   株式会社トヨコン  総合物流サービス業  明石忠男 (大4期)   「あら川の桃」ご案内 本多康重(17期)

少年探偵団少年探偵団マルタ・シチリア通信13

(お断り)
ドブロクニクは別格の美しさがある。2年前にもこの地の感想をお送りしたが、今読み返しても違和感は全くない。
そのためNo13・14・15の3回分は横着をして2年前の記事をそのまま流用してお送りします。

1 3 ドブロクニク(その1)
 ドブロクニクは「アドリア海の真珠」と言われ、劇作家のバーナードショウをして「ドブロクニク
を見ずして天国を語るなかれ」と言わしめた誠に美しい街である。この街は美しいだけでなく、
ビザンチン帝国、ヴェネチア、ハンガリー、オスマントルコなど列強の支配を受けながらも13世
紀初頭から1806年にナポレオンに滅ぼされるまでの約600年間「自由都市」を守り抜いた稀
有の街でもある。
 この小さな都市( 旧市街は2 ㎢、 周囲Km2 、市街人口4,000人、市全体でも40,000人)は当
時ラグーサ共和国と称していて海運、商業、観光で経済力を蓄えた。そして対外的に一貫して
中立を守り、自分から他国へ一切戦争を仕掛けず、外部からの攻撃には外交を駆使して水際で
かわしてきた。交渉には蓄えた経済力がものをいったのは当然である。
 ドブロクニクの衰えは1667年の大地震で壊滅的な打撃を受けたころから始まっている。そ
れでも北からの脅威ヴェネチアの圧力を緩和するためオスマントルコにネウムという町を割譲
し、ヴェネチアへの緩衝地帯とした。(これが今ではボスニア領土として残り、クロアチアが飛
び地となっている原因となった)。巧みな外交を物語るエピソードである。
mlt13.jpg
mlt131.jpg

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール
このページをお気に入りに登録


kourokai

  • Author:kourokai
  • 柑芦会大阪支部ブログへようこそ!
メールフォーム

こちらからお願いいたします。↓↓↓

http://www.kourokai.com/FormMail/mail/FormMail.html

最近の記事
カテゴリー
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
RSSフィード
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
フリーエリア
ブログ内検索
リンク

http://www.ibs-japan.net/