2008年11月25日(月)18時50分から21時
「徐福からスタートした日中関係」
講師: 王 妙発先生
和歌山大学経済学部市場環境学科教授
上海復旦大学歴史学部歴史地理学専攻博士課程修了
参加者16名
絶対的権力を持った秦の始皇帝に対して、「東方の海の彼方に蓬莱、方丈、瀛州という神山があり、
ここに仙人が住み、不老不死の薬が入手できる」とだまし、巨額の資金を得て海の彼方に消えた斉
(中国山東省)・琅邪の人、徐福が和歌山県新宮市にたどり着いた、あるいは神武天皇になったとい
う話を、古代の文献から読み解き、徐福の足取りを追った。

1.新宮市に徐福の墓が
新宮市に徐福の墓があり、徐福公園が建てられている。また、徐福顕彰碑や徐福の侍従であったとされる
七人塚などがあり、徐福関係のグッズなども販売されていることが写真を交えて紹介された。さらに、
日本の各地に徐福伝説が伝わっていることなどが明らかにされた。
2.徐福は実在の人物か
「史記・秦始皇本紀」に、斉の琅邪に巡幸した折、徐市(福)が「海の向こうに蓬莱、方丈、瀛州という神山
があり、ここに仙人が住んでいる」と奏上、それを受けて、「若い男女数千人とともに仙人のところに使わし
た」と記述されている。
また、「史記・淮南衛山列伝」に「男女3000人、技術者、五穀などを積み込んで、東海上の蓬莱山に向けて出
航させた」と記述されている。
これらは、史記の記述の正確度から見て、徐福が実在したのはほぼ確実と見られる。
3.徐福は日本に来たか
大海を行き来できる大型船は、すでに春秋・戦国時代には「舟師」と呼ばれる大規模な船隊があり、海流を利用
すれば日本に来ることは可能と考えられる。
これは1944年に浙江省寧波からジャンク(木造帆船)で出発して20数時間で佐賀の唐津に到着したことで証明さ
れている。
4.徐福は神武天皇か
衛挺生氏は「日本神武開国新考」で、「史記」に、「徐福が平原広沢(広い湖)を得て、王になって帰らなかっ
た」という記述をもとに、平原広沢は大阪平野から近江盆地周辺(おそらく琵琶湖)として、「東征開国」した
神武天皇増に徐福を重ね合わせた。
衛氏が挙げている根拠の半分は肯定できるが、「神武天皇=徐福」というのは「結論」ではなく、一つの
「仮説」にとどまる。
5.稲作はどこから伝えられたか
徐福が船に五穀を積んで日本に来た結果、稲作が伝えられたということと関連して、弥生時代の稲作について、
「朝鮮半島から稲作の技術が伝えられた」というのがこれまでの説であるが、初期の稲作を示す史跡が朝鮮半島で
は少なく、圧倒的に日本が多いことから、「日本から朝鮮半島に稲作が伝えられた」と考えるべきだ。
長江周辺で8000年も前から稲作が行われており、そこから日本に直接に稲作の技術が伝承されたと考えられる。
中国の北部では稲作の伝統がなく、長江周辺から朝鮮半島に稲作の技術が伝わるとは考えにくい。
尚、今回は大学院生募集に関する案内などもあって、時間が短縮され、質疑応答も充分ではなかった。
以上
報告:林 恵造(10期)

今回の研究わくわく人生塾の前半では、経済学部副学部長の河音琢郎先生による大学院の募集要項について
詳しい説明を頂きました。出願が来年の1月15日までの期間でございますので、お時間のあるOBの方は
是非応募されてみてはと思います。詳細は教務係073−457−7805まで。
尚、今後、OBの方に大学院に関するアンケート調査をお願いする予定です。よろしくご協力下さい。

王先生には、印象深い内容を私なりにインプットして頂けました。
(1)新宮には徐福寿司が2店舗あり、ビジネスホテルにも徐福の名前があった(地域ブランドになるの?)
(2)徐福伝説は特に九州に多く、徐市と徐福は中国の歴史文上では同一人物だ
(3)平原広沢に当てはまる地域は、日本の琵琶湖しか考えられないが、そこに徐福の史跡は無い
(4)朝鮮半島から稲作が日本に伝わったかと思いきや、考古学上の史跡から、実は中国から日本そして朝鮮半
島に伝わったことが濃厚だ
(5)徐福が実は神武天皇という仮説は弥生初期という共通点があるが、造船技術があっつたかなど、仮説をこ
れからの出土品で定説にできれば面白い。
今回の先生の考古学的視点と、古文書からの分析、あるいは言い伝えの現場調査などアプローチは大変参考に
なったという声が多かったです。
新宮はやはり秦宮だったのではと私は仮説したいと思いました。徐福伝説が和歌山の活性化にこれからも貢献
してくれるよう、王先生の一層の研究活動に期待しております。
王先生、大変お忙しいところ人生塾のために興味深い研究資料とレジュメをご準備いただき、本当にありがとう
ございました。
考古学的仮説と検証方法を織り交ぜながらの面白く為になるお話に参加者一同大満足のひとときでした。
予定時間が少なくなり大変ご迷惑をお掛けしました。
文責:塾長 渡邊 豊(33期)
「徐福からスタートした日中関係」
講師: 王 妙発先生
和歌山大学経済学部市場環境学科教授
上海復旦大学歴史学部歴史地理学専攻博士課程修了
参加者16名
絶対的権力を持った秦の始皇帝に対して、「東方の海の彼方に蓬莱、方丈、瀛州という神山があり、
ここに仙人が住み、不老不死の薬が入手できる」とだまし、巨額の資金を得て海の彼方に消えた斉
(中国山東省)・琅邪の人、徐福が和歌山県新宮市にたどり着いた、あるいは神武天皇になったとい
う話を、古代の文献から読み解き、徐福の足取りを追った。

1.新宮市に徐福の墓が
新宮市に徐福の墓があり、徐福公園が建てられている。また、徐福顕彰碑や徐福の侍従であったとされる
七人塚などがあり、徐福関係のグッズなども販売されていることが写真を交えて紹介された。さらに、
日本の各地に徐福伝説が伝わっていることなどが明らかにされた。
2.徐福は実在の人物か
「史記・秦始皇本紀」に、斉の琅邪に巡幸した折、徐市(福)が「海の向こうに蓬莱、方丈、瀛州という神山
があり、ここに仙人が住んでいる」と奏上、それを受けて、「若い男女数千人とともに仙人のところに使わし
た」と記述されている。
また、「史記・淮南衛山列伝」に「男女3000人、技術者、五穀などを積み込んで、東海上の蓬莱山に向けて出
航させた」と記述されている。
これらは、史記の記述の正確度から見て、徐福が実在したのはほぼ確実と見られる。
3.徐福は日本に来たか
大海を行き来できる大型船は、すでに春秋・戦国時代には「舟師」と呼ばれる大規模な船隊があり、海流を利用
すれば日本に来ることは可能と考えられる。
これは1944年に浙江省寧波からジャンク(木造帆船)で出発して20数時間で佐賀の唐津に到着したことで証明さ
れている。
4.徐福は神武天皇か
衛挺生氏は「日本神武開国新考」で、「史記」に、「徐福が平原広沢(広い湖)を得て、王になって帰らなかっ
た」という記述をもとに、平原広沢は大阪平野から近江盆地周辺(おそらく琵琶湖)として、「東征開国」した
神武天皇増に徐福を重ね合わせた。
衛氏が挙げている根拠の半分は肯定できるが、「神武天皇=徐福」というのは「結論」ではなく、一つの
「仮説」にとどまる。
5.稲作はどこから伝えられたか
徐福が船に五穀を積んで日本に来た結果、稲作が伝えられたということと関連して、弥生時代の稲作について、
「朝鮮半島から稲作の技術が伝えられた」というのがこれまでの説であるが、初期の稲作を示す史跡が朝鮮半島で
は少なく、圧倒的に日本が多いことから、「日本から朝鮮半島に稲作が伝えられた」と考えるべきだ。
長江周辺で8000年も前から稲作が行われており、そこから日本に直接に稲作の技術が伝承されたと考えられる。
中国の北部では稲作の伝統がなく、長江周辺から朝鮮半島に稲作の技術が伝わるとは考えにくい。
尚、今回は大学院生募集に関する案内などもあって、時間が短縮され、質疑応答も充分ではなかった。
以上
報告:林 恵造(10期)

今回の研究わくわく人生塾の前半では、経済学部副学部長の河音琢郎先生による大学院の募集要項について
詳しい説明を頂きました。出願が来年の1月15日までの期間でございますので、お時間のあるOBの方は
是非応募されてみてはと思います。詳細は教務係073−457−7805まで。
尚、今後、OBの方に大学院に関するアンケート調査をお願いする予定です。よろしくご協力下さい。

王先生には、印象深い内容を私なりにインプットして頂けました。
(1)新宮には徐福寿司が2店舗あり、ビジネスホテルにも徐福の名前があった(地域ブランドになるの?)
(2)徐福伝説は特に九州に多く、徐市と徐福は中国の歴史文上では同一人物だ
(3)平原広沢に当てはまる地域は、日本の琵琶湖しか考えられないが、そこに徐福の史跡は無い
(4)朝鮮半島から稲作が日本に伝わったかと思いきや、考古学上の史跡から、実は中国から日本そして朝鮮半
島に伝わったことが濃厚だ
(5)徐福が実は神武天皇という仮説は弥生初期という共通点があるが、造船技術があっつたかなど、仮説をこ
れからの出土品で定説にできれば面白い。
今回の先生の考古学的視点と、古文書からの分析、あるいは言い伝えの現場調査などアプローチは大変参考に
なったという声が多かったです。
新宮はやはり秦宮だったのではと私は仮説したいと思いました。徐福伝説が和歌山の活性化にこれからも貢献
してくれるよう、王先生の一層の研究活動に期待しております。
王先生、大変お忙しいところ人生塾のために興味深い研究資料とレジュメをご準備いただき、本当にありがとう
ございました。
考古学的仮説と検証方法を織り交ぜながらの面白く為になるお話に参加者一同大満足のひとときでした。
予定時間が少なくなり大変ご迷惑をお掛けしました。
文責:塾長 渡邊 豊(33期)
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